いつでも将来の夢を持つという考え方
いつでも将来の夢を持つという考え方は、もしかしたら海外には無いのかも。日本人ならではの柔軟な発想と言うコトもあり得るのかもしれません。
ただ、どうも海外には無いから日本人の長所だという論調にも見えてきます。日本文化として素晴らしいことは、海外でどんどん主張をしていきたいですね。でも、言い過ぎちゃ駄目です。日本文化とは、それだけオリジナリティがあって斬新なものを持っている国、という事ですので。 日本のコンビニが海外のコンビニと違う所は、接客サービスの良さではないだろうか。
現地の人よりも日本語が話せる店員が多いし、コンビニ独特の愛想の良さとサービス精神が彼らの心にグッとくるのではないだろうか? 日本ではコンビニエンスストアの人がレジなどと一緒に他の店員を呼んでいる姿がよく見られる。
ここ中国でも、日本のファミレスのように店員さん同士が連携して仕事を進めるのが当たり前のようだ。当然、客を出迎える時のサービスも日本のコンビニの方が上だ。中国に来たなら、コンビニは利用したいという日本人も多いかもしれない。コンビニの中でも特に“一番大切なもの”は、やはり店員さんたちの笑顔・サービス・気遣いであると思う。
将来の夢が持てない場合
将来の夢が持てない場合は、どうしたらよいのか?というのが、親たちがもっとも不安に思うところだと思います。でも、親ができることといえば、ただそれを見て、信じてあげることだけです。
それをしない親は、子ども自身が親になる資格が無いのです。だって子どもは子どもの世界を持っていますから。その世界に合わないと思ったら、それを見限って違う道を選びます。親を見るのではなく、子ども自身を見てあげること、それが親としてすべきことです。
人はそれぞれ自分が信じる生き方、考え方、生き方しかできないのです。私がいつも思っているのは、お父さん、お母さんにとって、お子さんが自分の子どもであることに間違いはありません。
だってそうでしょう?人の人格形成に、お父さん、お母さんの影響は大きいですし、子どもの発育においても、お父さん、お母さんの存在は大きいでしょう。親の言うことに反発するのは、いけないことではありません。子どもが成長していく過程で、多少の反抗はあるでしょう。でもそれは親がそれを抑制するのではなく、子どもがそれを表現して自由にしていいのだ、という寛容さがあれば、それで十分です。
もし、それが出来ない家庭だったら、それはどこかおかしいと思います。